えいがのはなしとか

 

今日はラピュタ阿佐ヶ谷で週1で作品が変わる曽根中生のロマンポルノ特集の3週目『㊙︎極楽紅弁天』見た。

3週連続で主演は片桐夕子さん。すべて馬鹿っぽいキャラ。純粋なほうの。今日のは我ら芹明香も出演してらっしゃった。

 

ソクーロフ特集の平行して見てるんですけど、なんか共通するのは画面上にうつる人たちの多さやと思った。

ソクーロフは主要の人物外の人たちにも動きをちゃんと何か与えてて、でももちろん何も動いてない人たちもいて、動いてない人たちの動きも私たちが常になにかをしてる訳じゃないように動いてないことにも意味がある気がしてめっっちゃスゲ〜と思った。

今日、『㊙︎極楽紅弁天』見てて同じように人がたくさんうつるけど、何もしてない人たちの何もしてない時間がただ次に何かをするまで待ってる人に見えてしまったなあ。

画面上に人が多いってゆーたら何となくゲルマンの『神々のたそがれ』とか今見たくなった。

 

ソクーロフ映画、そのほかの人たちのことも画面外の音にもかなりこだわりあって、部屋の外の音が結構聞こえてくるという。ほんとに情報量が多く、先日見た『牡牛座 レーニンの肖像』でレーニンおじちゃんの死期までの静かな話、外部からの情報量の多さのおかげで、より孤独に思えた。最近見たアンドレア・パラオロの『ともしび』も老人シャーロット・ランプリングの生活を淡々と羅列されているけど、まったく違う印象だったなあ。

レーニンは"あなたは誰にも好かれてない"とか言われたりしてもあっけらかんとする。

死期が近づくレーニンに他者は雑な接し方、レーニン自身も急に暴れたりするの、対等な感じ。御涙頂戴じゃないの、面白い。

 

総じて、老人の話はあんまり興味わかないんですけどね。と、最低なひとことを残しておわります。