『ワイルドツアー』について

 

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やっっと三宅唱監督『ワイルドツアー』見ました。

脚バタバタするほどニヤニヤしてしまう。

iPhoneじゃないカメラで撮影してる時は差はあれど基本ある程度指示があるのかな、と思いました。

カメラを向けられ演技をすることに慣れてない彼女彼らの顔はそのカメラという存在を明らかに無視できていない芝居。だからこそたまに今カメラ意識してない瞬間だったんじゃないかとゆう場面に出会うと感動する。

DNA採取に行くと驚くほどに自然になる子どもたち。子どもだからではなく、大人でも山などに行けばいい顔はするかもしれない。

そして重要なのは、脚本に起こされた台詞を言ってるだろうシーンが面白くない訳ではなく、そここそが見てくうちに驚くほど魅力的に見えてきてしまう。

やがて、フィクションとリアルに生きる彼女彼らの境目は曖昧になってくような感覚と言いますか、それは彼女彼らを見つめてる私たちの変化でもある、不思議な感覚。

芝居をある程度こなせる俳優たちはこの映画のあの子たちを見たら嫉妬に狂うんじゃないか。だってプロの俳優があのセリフを読んだとてきっとおもしろくはならないだろう。

やっぱり三宅唱さんは人物を魅力的に撮ること、引き出すことへの才能がヤバイのでは。脚本がうまくできているとかそんなことなくてもこんなに映画っておもろいんだって思うと同時に、私もまだ人間が好きでいれてるって思って嬉しくなった。

あと今回、撮影が三宅唱監督自身でしていることはかなり重要だったんじゃかろうか。

もし、別にカメラマンが居てモニターを見る監督が居たとしたらまた違ってたと思う。見られているということを極力最小限にしたかったんじゃないかな。

三宅さんが子どもたちとコミュニケーションを撮りながら撮影していた風景が頭に浮かぶもん。

だからこその、たまにある正面ショットが残酷に見える。自己紹介とうめちゃんの告白シーンだった。

映画の中で俳優がカメラ目線をするって、特別な意味しかないんだろうけどこのディープ過ぎる深さが私にはまだいまいち分かっておらず、だけどただただ印象にはひたすら残る。目の向こう側の真実をうつしてるみたいでなんだかそれにドキドキしてしまうような、一番の真実が見えちゃう気がしてなんだか目をそらしたくなる。

ちなみにハッピーアワーも旅館で改めて4人が自己紹介し合うときが正面だった。

 

映画っておもろいよね。

ほんとそう思いました。